高安通信
アジアとヨーロッパ
2010年8月から2011年2月までドイツに滞在し、ハイデルベルク大学のアジア研究プロジェクトAsia and Europe in a Global Context: Shifting Asymmetries in Cultural Flowsに参加しました。ぼくはとくにそのなかの音楽研究部門Creative Dissonances: Music in a Global Contextにおいて、西洋に端を発するところの「芸術音楽」や「ポピュラー音楽」が、アジアの文脈において、どのようにその位置を占めてきたのか、逆にまた、アジアからの「芸術音楽」や「ポピュラー音楽」がどのような関心のもとヨーロッパで受容されているのかを、同僚たちと考察しました。こうした考察では、「芸術音楽」と「ポピュラー音楽」といった区分自体が問題となるとともに、「西洋音楽」と「日本音楽」といった区分もまた自明でなくなります。このように、専門分化した学問の枠を超えて、その前提となっていることを問い直すことも大切であると、あらためて実感しました。
http://www.asia-europe.uni-heidelberg.de/en/research/b-public-spheres/b2/activities-and-events.html
文化情報発信の知
2011年度もまた、法文学部人文学科にて「文化情報発信の知と技法」と題した授業をおこないます。学生たちは、この授業を通して、地域社会においてどんな文化情報発信が必要とされているのか、その担い手になるうえで何が必要かを学んでいきます。2010年度は、たとえば、アートNPO代表・美術館学芸員・文学博物館学芸員・ダンサー・演劇支援団体代表・デザイナー・新聞編集者・テレビキャスター・企業メセナ担当者の方々にゲスト参加いただき、それぞれの分野の問題について語っていただきました。またそれを参考にして、学生みずから、自分がいま学んでいる分野について、どんな文化情報発信が有効であるかを企画書にまとめました。とくに、芸術・思想・文学・文化・歴史について学んでいる学生が、その力を最もよく発揮できるのは、文化情報発信の場であると言えるでしょう。その意味において、文化情報発信の知と技法について学ぶという授業は、人文系の学生にとって意味深いものとなるはずです。
芸術について学ぶこと
芸術にたいしては、しばしば、純粋無垢な態度が求められます。そうした態度をとくに大切に思う人たちは、芸術について学ぶことに意味を感じないかもしれません。たしかに、余計な先入観をなくすことは大事です。しかし、成長してしまった人には、すでにいろいろな見かたが刷り込まれています。だからこそ、自分のものの見かたを反省するためにも、芸術について学ぶ必要があるのだといえます。また、芸術について学ぶとは、芸術について語る言葉を習得することでもあって、言葉によって、見えなかったものが見えるようになったり、聞こえなかったものが聞こえるようになったりするはずです。言葉はかならずしも生々しい感覚を損なうものではありませんし、知識はかならずしも生々しい体験を奪うものではありません。むしろ、言葉の力によって感覚を研ぎすませたり、知識を持つことで体験を充実させたりすることもできると、ぼくは信じています。